| ・・山暮らしの里・・は 紀州の有田川町岩野河・粟生地区にまたがる山上にありますが、 この本はインターネットで知り合った海南市の<こうへい>さんから 山暮らしを楽しまれる方の、なにか参考になれば・・と、 お貸し戴きました・・・ この有田の民話集「ふる里の泉」は、地元金屋の「鳥居勝氏」が地元紙 有田タイムスの新聞記者をしていた時から、各地域の村の古老を訪ね て色々な民話や伝承を取材されたもので、約390頁、472話をまとめ 平成8年に出版されたものです その後、鳥居勝氏は故人となられたため<こうへい>さんが、遺族の 方をたずね入手された貴重な郷土資料です・・・!!! |
有田近辺には、高野山を開創した弘法大師にまつわる史跡や伝承・・・
源平の戦いで破れた平家の落人の足跡や伝承が数多くのこされている・・・
他にも大蛇伝説や、村々の風習など・・・「ふる里の泉」をもとに、徒然に、ご紹介致しましょう・・・
まずは・・粟生から有田川支流の里村・・五郷(ごむら)へ・・・・
| 岩倉神社 粟生区と隣接する岩野河区は昔、岩倉村として一体で 呼ばれていたそうである・・この岩倉神社は粟生の集落の 南を流れる有田川の上手川沿いにあり、右写真の粟生の 大巌の上にある弁天さんと、この大巖全体がご神体でした が、昔のこと粟生の南山にある明神ケ嶽にある明神様が 山津波で下に流されたので、そのご神体を迎え、ここに祀 った・・・岩倉明神と呼ばれるようになった・・・ 天狗の夜祭り 神社の裏山に天狗の踊り場という大岩があり、昼間に神社 でお祭りがあると、その夜天狗たちによるお祭りがおこなわ れる・・人間の目には見えないが太鼓、鈴、拍子木、それに 神主の祝詞、参拝人のにぎわいなど・・その音だけが聞こ えるそうである・・・ |
粟生の大巌 左の岩倉神社のご神体とも云われる「粟生の大巌」の前を 有田川に合流する支流の四村川が溯る・・・ この川を遡ると、中原・川合・二澤など五村(五郷)と呼ば れる村落がある・・・ このあたり一円は遠い昔、湯浅一族の所領地で、 平家とは近しい関係があり、源平の合戦で平家が破れ その落人たちが逃れて隠れ住んだ場所でもある・・・ |
| 後村上天皇が籠もった大城 五村の中原地区の農村風景・・・この右の山の頂上に 大城という城跡がある・・ そこは竜門山阿諦川城といわれ、その昔、吉野を御座所 としていた南朝の後村上天皇が北朝の足利・高師直に攻 められ転々とし、この城に入ったが、北朝の紀州大将軍・ 足利直冬に攻められ、正平三年九月四日に落城し、日高 に逃れた 大城の裏山には、氏名不詳だが立派な墓があるとか・・・ また護摩堂跡とも伝えられており、 「インノカラト」というお宝が埋まっているとか・・・!!! この城を築城した宮本勘解由の末孫が現在の地主 で大城家ということです |
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| 護良親王(大塔宮)が千の祈願 五郷神社 中原の五郷神社は、むかし丹生神社とよばれ 丹生都比売命をお祀りしていた・・・ ところが明治40年の合社令により、五村各地で祀られて いた里神をこの宮に合社し、村社五郷神社となった 南北朝相争いし折り、大塔宮とよばれた護良親王が 戦勝祈願にこられ、そこにあった古い楠の木陰に休まれ 祀られている丹生都比売命に千の願いを掛けたという そのため古い楠は・・千願楠・・とよばれたが 今は・・もうなくなり・・ 樹齢何百年の大杉が境内の角にそびえていた・・・ |
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那智の滝と一対・・・油滝 ・・那智権現・・ 中原の集落をすぎると川合の集落に入る この川合に紀伊風土記、名所図絵にも紹介されている 「油滝」とよばれる、滝がある・・・ むかし油を流したような滝水の流れだったとか・・・ 古老たちの話では、日本一の那智の滝と、一対になって まっすぐ向かい合っているため、那智権現を祀った 滝の宮という神社があったが、明治の合社令で、 五郷神社に合社されたという・・・ そのとき約1000年前の棟札がでてきたとか ここに、地蔵様が祀られていて 正月24日の命日には、モチ投げが行われている このモチ投げは、200年程前から続けられている ・・・そうである |
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